私の好きな戦国武将シリーズ「前田慶次」

私の好きな戦国武将シリーズ!
今回は前田慶次を紹介します。

名前 前田慶次 利益

誕生年 不詳

家族 養父前田利久 正室前田安勝の娘 子女一男五女

生い立ち

近年前田慶次として有名な慶次ですが、実は、慶次は、通称名で本名は、利益とされています。

ただ、名前に関しても誕生年に関しても曖昧な点が多く、謎多き武将としても知られています。実父は、織田信長の家臣として知られる滝川一益の一族であったとされ、一益の近い血筋の者とされるもはっきりとした関係は、分かりません。

また、前田家に養子入りした背景も定かでは、ありませんが、一般的には、養父利久は、子宝に恵まれず妻の実家から養子として慶次を迎え入れたとされています。系譜上は、前田利家の甥にあたり、養父利久が隠居し家督を利家が継ぐと利家に仕え自身の嫡男も利家に仕えるようになります。

ただ利家と不仲になった慶次は、前田家を家出すると経緯は、不明ながら、上杉家に仕えるようになります。近年は、武骨な武将と言うイメージながら、和歌や漢詩も嗜み非常に教養深い人間であったたと言われています。

主な功績

誕生年不詳

1567年 養父前田利久が隠居する(家督は、弟の利家が継ぐ)

1581年 利家に仕えるようになる(義理の叔父で大名に迄成長した利家を頼る)

1584年 小牧・長久手の戦い(佐々成政の救援として戦う)

1590年頃 前田家を家出(経緯は、不明ながら利家と仲違いして前田家を出る)

1598年頃 上杉家に仕える(上杉家に仕官して、組外衆筆頭として仕える)

1612年 死去

まとめ

実は、浪人生活が長く、生涯に関しても曖昧な点が多い上に出自や誕生年もはっきりしておらず半ば伝説上に近い存在です。元の出自は、滝川家とされるも実父は、分かっておらず前田家に養子入りした経緯も分かっていません。

また、養父利久が隠居後も利家に仕官する迄の事は、いまいち分かっていません。

しかし、家督を継いだ叔父利家が出世して大名になると親子共々利家を頼り、7000石が渡されます。また、自身の嫡男の正虎も利家に仕えており利家の近臣として仕えていた事が分かります。しかしながら、理由は、不明なれど利家と不仲になった慶次は、前田家を家出します。

ですが、この時息子や妻は、帯同していない為、慶次本人が余程個人的に利家と不仲になったのでしょう。また、その直前に養父利久も亡くなっており養子である慶次は、前田家の縁も希薄になっていたのでしょう。

その後は、京で再び浪人生活を送っていましたが、上杉家に召し抱えられる事となりその後は、終生上杉家に仕えます。直江兼続本人からスカウトされたとも言われていますが、はっきりとした事は、分かっておらず謎多き人物です。

番外編 前田慶次の作品

前田慶次の作品といえばやはり「花の慶次」ではないでしょうか。
このパチンコ機種で一躍前田慶次は人気になったといっても過言ではないでしょう。

歴史的にはあまり資料は残っていませんが、現代で作り上げた前田慶次が勝手に広まり人気になっている状況です。

こんな感じでグッズも大人気の様です。